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証券会社を退職し病院事務長まで抜擢人事 昇格エピソード

大学卒業後の新卒で入社した証券会社を退職したあと、病院に入社し、事務長に昇格したある病院事務長のエピソードを紹介します。

無職で数ヶ月過ごし、そろそろ就職しようかなと考えていた時に証券会社時代の先輩から、病院から就職して欲しいと連絡が入りました。

その当時、特にやりたい仕事もありませんでしたし、就職転職活動をはじめる前だったので、とりあえず話を聞きに行く事にしました。

病院に行くと、その当時の理事長や院長や事務長が3名いて、なぜか面接に。

そして、いつから来てくれるのかねと言うような感じで言われたので、明日かと言うような感じで、訳のわからないまま病院に就職することになりました。

本当に縁があり、入社するのは運命で決まっていたと思ったぐらいです。

病院へは事務長候補として、役職なし一般事務職員として入社しました。

まず、2か月間だけ給与の仕事をしたので、病院の事務職や医師を除く薬剤師や看護師や看護補助者や理学療法士や社会福祉士などのコメディカルスタッフの年収の少なさや退職金の少なさに愕然したのを今でも覚えているようです。

非常に脇の甘い話ですが、面接時に給与などの条件の話をしませんでしたので、入社後に1回目の給与が支給されるまで、給与や年収がいくらになるか知りませんでした。

病院の医師以外の年収や給与の少なさに驚きました

貰って初めて非常に驚き、

(基本給と調整手当を合わせて20万円程度でした。

これは、この病院の大卒事務員で係長とほぼ同等の給与でした。

全くの役職なしの26歳証券会社時代に30万弱の給与や給料をもらっていましたので、この額の少なさには本当に驚きました。

これが中小企業の厳しさです。)

給与規定を見ても、昇給額の少なさに驚きました。

(証券会社時代は毎年2万円から4万円程度昇給していました。

そしてその事務長が一般社員として入社した病院の大卒の事務職員の規定通りの昇給額が、2千円程度でしたので、本当にカルチャーショックを受けたようです。)

これは早々に退職しないといけないなと本気で思ったようです。

ただ、入社して、当時の病院の他の事務職員の仕事や能力や性格的なものを客観的に比較した限りでは、その人に勝てそうな人は見当たらなかったようです。

そして、当時の事務長が60歳を超えていましたので、世代交代も早いと思っていました。

よって、かなり早い段階で事務長に昇格できる自信はありました。

悩みましたが事務長に昇格するまで頑張ることに

その事務長がこの病院に入社した理由は、事務長になる為でした。

なので、とりあえず様子を見て、昇格できるスピードや昇給額や事務長に昇格した時の年収や仕事に対するやりがい等をトータル的に判断して退職するか。

それとも残るかを決める事にしました。

その他にも愕然としたことがあったようです。

入社して早々想定外だと思った事があります。

それは、入社を決めた大きな理由である、当時の事務長の年収が、当時の理事長の親戚で理事だから支給されていた。

(もともとこの病院は、証券会社の取引先で、理事である事務長の年収を決算書で知っていました。)

という事が分かりました。

事務長に昇格できたら、百万円単位を四捨五入したら、2000万円の年収がもらえる。

と思って、今は年収が低いけども、頑張って事務長になればそれなりの年収がもらえる。

モチベーションが恐ろしく下がり辞めようとも

と思っていた矢先にこの想定外は、モチベーションを下げるのには、十分なものでした。

それに加えて、その事務長が入社して一番初めにやった大きな仕事は、病院や法人全体の従業員の退職金制度を廃止する事でした。

そうなると退職までに、老後の生活資金を貯めておかないといけないということです。

貯めれるだけの収入を得れなければ老後に困るし、この不安を解消できないのであれば、この仕事を続けられないなと真剣に考えていました。

そんな感じだったので、この様な将来に対する不安や進路に対する悩みを抱え、退職するか続けるか悩んでいました。

しかしながら、その事務長の複雑な気持ちとは裏腹に、仕事に対する評価は高くなる一方でした。

法人全体の従業員の退職金制度の廃止の手続きも、退職年金基金の理事との交渉もスムーズに行うことが出来ました。

そして、理事長が覚悟していた違約金も全く支払う事もなく、脱退する事も出来ました。

それ以降も大きな案件を順調にこなしていったので、入社後1年後には、事務の係長。

係長に昇格後の1年半後には課長。

課長に昇格後の2年後には、事務長と順調に昇格していきました。

古くからの従業員をごぼう抜きした抜擢人事です。

抜擢人事 証券会社時代の主任と同程度の年収に

心配していた給与もそれなりに増やしてくれました。

30歳の課長時代に、役職手当を含んで30万円程度。

そして、事務長に昇進昇格した31歳か32歳の時に、当時の証券会社時代の同期でそれなりに順調に出世してる主任と同程度の年収になりました。

ここで、ようやく何とか贅沢は出来ないけども、病院で仕事を続けていって、生活を成り立たせることが出来るめどが立ったとほっとしたことを覚えています。

(子供たちは、全員大学に行かせるつもりでしたし、妻は仕事がしたいと言わないのであれば、専業主婦にするつもりだったようです。

よって、全然生活に余裕はなかったとの事。)

それ以上については、その人の能力が高く、いい仕事を続けていれば、どんどん年収も高くなると信じていました。

そして、その事務長の将来的な年収目標は、3000万円

(事務長だけの仕事で、この年収が達成できるとは思っていないようです。

よって、事務長の仕事と並行して別の副収入を稼ぐか。

事務長の仕事を辞めて自営で何らからの仕事で稼ぐか。

そこらへんについては、将来の病院で貰える年収や自分の能力やスキルを踏まえたうえで決めていこうと思っていたようです。)

でしたので、いろいろな努力を続けて、いろいろな形で増やしていこうと思っていました。

順調な病院事務長への昇格エピソード

そこから、11年後のその事務長の年収は、順調に増えて、現在は、以前勤めていた証券会社の支店長クラスになりました。

うじうじ悩んでいた15年から10年前までが嘘のように年収が増えたので、あの時の悩みはまったくもって無駄だったなと感じているようです。

そういう訳で、現在勤めている病院の理事長に対しては感謝の気持ちで一杯で、仕事で恩返しをする事を真剣に考えて、行動している日々のようです。

ただ、それだけの年収を頂いても、子供たちが大きくなり、銀行の住宅ローンの支払いや教育費やいろいろで、その事務長が考えていたような自由にお金を使って、面白おかしい生活は出来ないようです。

欲深いのか、それとも贅沢なのか、正直な話、足りていないようです。

子供たちも男の子2名は理系の大学、女の子は文系の大学と考えているので、学費も4000万円ぐらい貯めないといけません。

( 今の生活レベルを下げず にという話なので、切り詰めればなんとかなるかもしれませんが)

今のペースでは、まったくもって無理な話です。

よって、年収3000万円に向けて、まだまだ頑張らなければならないと意気込んでいました。