証券会社を退職して、病院事務長候補として病院に就職するまでの、ある病院事務長の転職エピソードです 。
その事務長は、大学を卒業した後、地元に帰る事しか考えていなかったので、地元の証券会社に就職しました。
証券会社を第一希望とした理由は、今思うと本当に単純でした。
やりたい仕事も無かったので、証券会社なら給与や年収が多いと聞きます。
そして、もし他にやりたいことが見つかった時に、それなりにつぶしがきくので転職しやすいかなという安易な考えでした。
本当に幼稚で浅はかな考えです。
(と切り捨てていますが、その事務長が現在の病院に事務長候補で就職して、事務長に昇格できたのは、証券会社という肩書きがあったので、結果オーライではありますが、あながち間違っていなかったように思っています。)
そんな安易な考えで、特に準備もせずにかなり出遅れて就職活動をしたので、一度は就職したその証券会社から不採用を言い渡されました。
(叔父から部長に頼んでもらったコネを使ったにも関わらずだったようです。)
しかし、持つべきものは親です。
親がかなり裏で骨を折ってくれて、大きなコネの力
(地元の有力県議会議員のコネでした。
面接でも一言質問されただけで、内定が決まったので、私の実力ではなくコネの力のみで就職が決まりました。)
で証券会社の内定をもらえる事が出来ました。
この時は何も感じませんでしたが、今の年齢になると親のありがたみがよく分かるようです。
入社後は実家から通勤できる支店で、入社3か月間は窓口の仕事をして、女子社員と仲良くして楽しく過ごしました。
その1年後には外回りとして営業の仕事をすることになりました。
2年目ぐらいには、支店内の外回りの中で、上位の営業成績でしたので、支店のエースと上司から持ち上げられて、順風満帆の証券会社員生活を送っていました。
ところが、3年目に入ってから、慢性的な頭痛や下痢や倦怠感に悩まされるようになってきました。
うつ病になるぐらい追い込まれました
徐々にうつ病に侵されていきました。
その原因は、支店全体で他の渉外が達成できなかったノルマを、半期ごとの決算が近づいてくるたびに、上司から上乗せされて、どんどん追い込まれていったからです。
自分のノルマ以上に強要され続けて、身体的にそして精神的に疲弊して行ったこと。
それがうつ病になった大きな原因の一つになりました。
自分のノルマは出来ているのになんで 出来ない先輩等のノルマをやらされるのか?
本当に納得できませんでした。
ノルマが出来ない先輩に限って余力があるから、期末の出来ていないノルマを頭割りした後すぐは、簡単にノルマが出来て余裕の表情。
ただ、それも一時的で、結局割り当てられたノルマは達成出来ずに、更に頭割りされて、結局どんどんノルマを増やされました。
そして、ちょっとそのことを私が愚痴ると一番ノルマが出来ていない先輩から、お前は仕事ができない人の気持ちが分からん奴や。
俺やって辛い思いをしてるんだ。
と私が悪者のように言われたので、本当に腹立たしい話です。
(この人は新規取引先開拓の専任の営業でしたが、毎日のように飲み歩いて、全く仕事をしていませんでした。
半期の結果は、新規取引先の開拓は0件。
地区のお客様をたくさん持ちながら、空いた時間に営業をした私は支店2位の新規取引先の開拓数。
その他のノルマもきっちりこなしていました。
よって、この主任が全然仕事をしていないのがよく分かります。
そして更に驚きが。
この当時主任だったこの人が、私が退職した後、数年で支店長に昇格したことです。
そして、その証券会社全体の全体の営業推進責任者に。
どういう基準で選考されているのか本当に不思議でしたし、こんなに仕事が出来ない支店長の部下になる人は本当に気の毒だと思いました。)
結局、この時に発症したうつ病が原因で、2週間精神科病院に入院し
(証券会社にうつ病で治療中であると伝えていたのですが、その1週間後に定期の人事異動が有り、県外に転勤することになりました。
精神的に限界だったので、そのタイミングで入院となりました)
証券会社を4年で退職
その後、入社して4年で証券会社を退職する事になってしまいました。
(退職届を出しに本店に行ったときに、人事部長から退職しないで本店で勤務しながら体を治したらどうか。
と言われて、退職届を一旦持ち帰りましたが、うつ病になるような職場が完全に嫌になっていたので、退職の意思は覆りませんでした。)
証券会社を退職した後は、しばらくぶらぶらしていた
(社会保険労務士の勉強をしています。
4か月の勉強期間でしたが、6割の合格ラインに対して、8割以上の点数を取得して、受験者の1%に入る高得点を出しました。
しかしながら、一科目でミスをして足切りされて、残念ながら不合格になってしまいました。
この時は人生で一番必死に勉強したので、かなりショックでした。)
のですが、半年して体調も良くなってきたので、そろそろ就職活動をしようと考えていた時に、現在勤めている病院の院長から、勤めていた証券会社の先輩を通じて、入社の依頼がありましたようです。
転職エピソードは奇跡的
正直な話、奇跡かと思ったようです。
なぜかと言うと、その病院はその事務長が勤めていた証券会社の取引先で、事務長の年収が百万円単位を四捨五入すると2000万円という事を知っていたからです。
正直な話、その病院の事務長になりたいと思っていた事がありました。
在籍していた証券会社の支店長が、そんなにいい年収をくれるのであればワシが転職したい。
と羨ましそうに言っていたぐらいです。
まさか、こんな話がその病院の方から来るとは思っていなかったので、とりあえず病院に話を聞きに行く事にしました。
奇跡的な転職エピソードの始まりです。
その事務長は、条件面や仕事の内容等をとりあえず聞きに行くつもりだったのですが。
病院に行くと、理事長と院長と事務長がいる場面で、面接をされて、いつから就職してくれるのかね。
という話になってしまいました。
特にしたい仕事もないし、来てほしいと言ってくれているのだから入社するかという感覚で内定を受ける事にしたようです。
結局、給与等の条件面や仕事の内容を聞かずに事務長候補として入社しました。
本当に脇の甘い話だったと今でも思い出すようです。
病院の事務長候補として就職転職
事務長に昇格するまで証券会社と比較するとかなり安い年収だったので、心の底から後悔する羽目になってしまいました。
当時はそこまでの慎重さや厚かましさがなく、本当に考えが甘かったと思います。
若気の至りです。
年収が安く、入社したあと病院の給与体系を見て愕然としたのを昨日のように覚えているようです。
その後、事務長に昇格するまで何度退職しようと思ったことか。
(こういうことがあるので、転職する時はエージェントを利用するのがベストです。
言いにくい給与や年収等の交渉もしてくれますし、年収が高い求人を紹介してくれます。
ビズリーチは年収1000万円以上の事務長求人を扱っている転職エージェントです。
病院以外の一般企業の事務管理者求人も取り扱っていますので、幅広い就職活動が可能になります。)
ただ、その事務長曰く今となっては、懐かしき思い出です。
以上が私の知り合いの病院事務長が証券会社を退職して、病院事務長候補として就職した転職エピソードになります。
結局、退職せずにここまで勤めてきましたが、現在はこの病院で事務長として働き、報酬も経営者が配慮してくれているようです。
本当にやりがいやプライドを持って、楽しく仕事をさせていただいているので幸せだとの事。